都会に住んでいる犬を見て悲しくなった話
少し前なんですが、都会というか東京に行ったときに犬を散歩させている人を見て悲しくなった話です。
これが都会の現実なのかと思うと同時に、たとえ田舎であってもこれからはどんどん犬とその飼い主にとっては住みづらくなっていくのかな、
とも思いました。
都会に住んでる犬を見て悲しくなった話
僕が都会に行ったとき、どちらかというとちょっとした住宅街である裏通りみたいなところを歩いていた時の話です。
僕が歩いていると、正面から柴犬を連れて散歩をしている人がやってきました。
僕は猫を飼っていますが、犬も大好きなので、「ああ、いいなあ柴犬」と思ってみていました。
すると、その柴犬が電柱におしっこをし始めました。
まあ、犬と言えば電柱におしっこをするものなので、とてもありふれた風景のひとつかもしれません。
ところが、犬がマーキングをし終わると、すかさず飼い主の方が手に持っていたペットボトルのような容器から、何かの液体を電柱の根元に吹きかけました。
その後も僕とすれ違い、去っていく柴犬と飼い主を見ていましたが、犬がおしっこをするたび、すかさず飼い主の方が同じようにしていました。
僕が好きな漫画の作者の方が、「都会にやってきて、猫がアスファルトの上で小便をしているのを見て泣きそうになった」とおっしゃっていましたが、
なんだか僕もそれに近いような気持ちになりました。
これから先
確かに自分の飼い犬に責任をもっていろいろとするのは飼い主として当たり前のことかもしれません。
その電柱の付近に住んでいる人は、よくない匂いを感じているかもしれません。
でも、そうしたらいったい犬たちはどこでおしっこをすればいいんでしょうか。
マーキングをしたあとから、すぐに消臭液のようなものをかけられていたんでは、彼らも気持ちが良いはずはありません。
かといって、散歩は毎日するものですし、毎回自然があるような所へ連れて行ってあげるのも飼い主としては大変でしょう。
幸い僕の住んでいる地域では、まだ公園が多くあったり、空地もちらほらあったり、小さな林も草むらもそこらにあります。
なので、犬を散歩させている方が、大きい方以外の処理をしているところをみかけたことはありません。
しかし、最近では家やアパートが立つなどで空地がどんどんとなくなって言っているような気がします。
これから、どんどん田舎も都会のようになっていくのかと思うと、便利だなあと思う反面、それに伴う犠牲がなにかしらあるのかなあと思うと、複雑な気持ちになります。
最近では犬を飼育数を猫の飼育数の方が上回ったという話を聞きます。
猫は犬と違って、散歩をさせる手間もかかりませんし、猫も犬と同様、私たちに癒しを与えてくれます。
しかし、こういったことも一因となり、どんどん犬を飼う人が減って、犬が売れなくなって、その段階で売れなかった犬たちの末路を考えると非常に胸が痛いです。
行ってしまえば娯楽のために生み出されたものであっても、命なんです。そこに目を向けなければなりません。
僕たちは今当たり前のように生きていますが、それはなにかしらの犠牲の上に成り立っていること、忘れてはいけないことだと思います。
それに、ただそれをわかっているだけではダメなのだと思います。
仕事、雇用を生み出してお金を回さないと、人々が生きていけないシステムなのはわかりますが、そもそもそこに疑問を持たないといけません。
僕たちにほんとうに必要なものはなにか見極める必要があります。
ほんとうに必要なものってそうそうたくさんはないものじゃないでしょうか。
なにかまじめくさい話になりましたが、少し感じるものがあったので書きました。
最後は僕が好きなジブリ作品の名言を置いておこうと思います。
「天空の城ラピュタ」から
「土に根を下ろし 風と共に生きよう 種とともに冬を超え 鳥と共に春を歌おう
どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても
土から離れては生きられないのよ」
「風の谷のナウシカ」から
「大地を傷つけ奪い取り汚し焼き尽くすだけのもっとも酷い生き物。
虫たちの方が私たちよりずっと美しい」
風の谷のナウシカは、ある出来事以降、テレビで放送されなくなりましたね。個人的に好きなので放送があると毎回見ていたんですが。
まあそこはタブー的ななんかなんでしょうね。気になる方は調べてみては。
それではどうもありがとうございました。