6月12日は日記の日らしい【アンネの日記】
どうも、小学生以来日記というものを書いていない僕です。
今日朝起きてから何気なくカレンダーに目をやると、今日が日記の日だと小さく書いてありました。
っていうか日記の日ってなんなんだよ、と気になったので取り上げてみました。
日記の日とは
今日6月12日は日記の日。
日記の日というのは、なんでも
アンネの日記の日
1942年のこの日、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められた。
アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、アムステルダムの隠れ家に身を隠した。日記は隠れ家に入る少し前の、この日の13歳の誕生日に父から贈られたものだった。
1944年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出されて、ポーランドのアウシュビッツに送られたため、日記はこの日で終わっている。そして、1945年3月にドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死した。
ということらしく、アンネフランクの日記の日ということらしい。
僕もブログで日記ではないものの、日々戯言を展開しているので、少々気になって調べてみたこの日記の日、
当初自分で思っていたよりも案外重い日記のことでした。
アンネの日記
さすがに、
「うぇーい今日は日記の日か、小学生以来の日記でも書いてみるかなーっと、
今日は昼起きてクソして飯食って、昼寝して飯食って風呂入って歯磨いて寝ました」
て書くだけじゃアレなので、
この機会にアンネの日記について調べてみました。
アンネフランクっていうと、まあアンネの日記とユダヤ人っていうことくらいしか思いつかなくて、いかに歴史・世界史に触れてこなかったかを思い知らされますね。
実際僕が高校生のときは世界史もさわりしかしてないし、日本人なのに日本史を履修しなかったんですよね、余談ですが。
アンネの日記は第二次大戦中、ナチスドイツによるユダヤ人への迫害が行われる中、オランダに逃れて隠れ家で2年間生活していた、
フランク家のアンネフランクによって記録されたもの。
隠れ家ではフランク家の4人と、他の家族4人の、計8人で生活をしていた。
おおざっぱに言うとその生活の様子が記録されたものが、アンネの日記だ。
生活の様子と言っても、多感な思春期の女の子が記録したものであり、母親への痛烈な批判や、友人たちへの不満、性のめざめ、将来のことなど、
その内容は多岐にわたる。
単なる日記ともいえるが、アンネの成長記ともいえる。
まとめ
おおざっぱに少しだけ情報収集してみましたが、アンネの日記は小中学校で触れる、というような意見がチラホラ。
正直僕は小中学校の記憶はあまり鮮明でなくて、国語の教科書に少しでも出てきたことがあったといわれても覚えていないです。
6月12日はアンネの日記の日。
いい機会だし、過去を知って今の当たり前のありがたさを知るという意味でも、アンネの日記には触れてみるべきかもしれません。
それでは、どうもありがとうございました。