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面白くて人を惹きつける文章、文章力ってなんなんだろうね。

面白い文章、人を惹きつける文章とはなんだろうか。少しでも自分の稚拙な文章をより良くしようと始めたブログだったが、そもそも適当に文章を綴っていて果たして文章力が上がるのかどうか定かではない。まして、僕のようなボキャブラリーの貧困な人間にとっては、目新しい変化が短期間に期待できるほど甘っちょろいものではなかったのだと痛感している。

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で、面白い文章、人を惹きつける文章とはなんだろうか。僕が個人的に好きな作家は、圧倒的なボキャブラリーと軽妙な言い回しができる森見登美彦、ただただ文章や構成が美しくため息しか出ない文章力の三島由紀夫などだ。どちらも僕の主観的な美意識による選別に変わりはないが、僕は平易な文章よりも、いささか難解で読み応えのあるような文章が好きなのかもしれない。

しかし、より緻密である設定や文体、豊富な修飾でありながらもなめらかな文章であることが、難解さを緩和しているように感じる。それに加えてより面白く、人を惹きつける文章の特徴があると思う。それは、「一貫して自分の表現をしている」ということだ。

例えば、僕はカレーが好きだとする。それを文章として表そうとするときに、「カレーが嫌いな人も世の中にはいるかもしれないけれど、僕はカレーが好きだ」と、最初から自分の文章に反する人々に対しての、なにか言い訳のようなものを加えてしまうと、途端に文章が魅力的ではなくなるし、なんかつまらないような気がする。なにより文章に潤いがない。これは大学の教授の論文なんかに顕著に表れていると思う。まあ彼らの仕事は、いかに自分の研究が良いものであって、それを誰かに認めてもらう必要があるわけだから、あらかじめ反論に備えておくことは当然のことなのかもしれない。

でも僕はそんな文章は嫌いだ(笑)。カレーのことに話を戻すと、僕は上の表現よりも、「僕は一週間に5回は食べるほどカレーを愛している。だから、僕が死んだときはクミンやターメリックガラムマサラと一緒に納骨してくれ」ぐらい言ってくれるほうが好きだ。少々露骨な盛り方に加え、上記のスパイスだけではおいしいカレーはできないのであるが、僕が言いたかったのは好きなら好きではっちゃけてくれ、要はそういうことだ。

文章が上手いというのは、確かに誰をも納得させるだとか、圧倒的な文章力をひけらかすということで得られる称号なのかもしれない。しかし僕は、誰をもひれ伏せさせるだとか、自分とは真逆の人間にいちいち断りを入れるだとかいうような文章には魅力を感じない。まあ厳密には、誰をも納得させる文章とかないと思うんだけどね。でもなんというか、そういった目論みが透けて見えるような文章ってなんだかいやらしいと思うんだよね。なんか自分を表現する以前に批判を恐れているというか。

森見さんの作品に出てくる「私」。なんだかひねくれ者ではあるが、プライドが高く非社交的で活動的でないところは首尾一貫している。大学生活もいっこうに華やぐ気配を見せることなく、ついに折り返し地点を迎えてしまった自分にとって、親近感がわかない理由はない。僕は小説を書いているわけではないし、物書きであるわけでもないが、小さなブログという媒体で、あるかもわからない自分という個性を表現していくにあたって、少なくとも他人の価値観に迎合的な表現はしたくないなとは思う(できるかはわからん笑)

まあそんな感じでたまに自分らしい文章を書ければ良いなと思っています。それでは、ありがとうございました。

 

四畳半神話大系 (角川文庫)

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金閣寺 (1956年)

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