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毎日の生活を豊かに

憧れと嫉妬

どうも少し昔に思いを馳せていた僕です。

とは言っても、高校・中学と遡るごとに、記憶は薄れていっているんですが。

小学生の頃の記憶なんてほぼないと言っても過言ではないですね。

これっておかしいことなんですかね。

僕はけっこう普通のことだと思うんですが。笑

それはさておき、今日は「憧れと嫉妬」についてちょっと考えてみたいと思います。

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憧れ

例えば、小学生の頃はなにかしらスポーツをしていれば、

そのスポーツのプロ選手に憧れる、というのが自然な流れかと思います。

小学校の卒業アルバムの将来の夢が、野球選手やサッカー選手だらけ

とかちょっと懐かしいですね。これって年齢がバレルでしょうか。笑

最近は公務員が人気とか聞きますね。

 

このころの憧れは、たぶん純粋な憧れ。

なれるなれないとか、現実的なことはあのころはまったく考えていなかったし、

考えることすらなかった。

ただ、思うがままに憧れていた。

でも、今、大人という烙印を押された今は、たぶん違う。

今僕が持つ憧れは、あきらめからくる憧れだ。

僕の中のすべてがどんなに追いかけようともアイツには追いつけない、そう叫ぶ。

樋口師匠が、「我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、

我々がもつ不可能性である」と言ったように、

僕の中でも、日々不可能性が量産されている。

無限の可能性を感じて生きていたい、僕としては難しいところですね。

年齢を重ねるにつれて、どこかいろいろなものが狭まって言って、

凝り固まって、しょうもない歳の取り方をすることだけは避けたいところ。

 

嫉妬

僕のなかでは、たぶん高校生くらいから嫉妬という感情が

芽生え始めたような気がします。

例えば、スポーツなんかでいい成績を修めているやつを見ると、

僕もやればできるだろうと思うんだけどなあ、でも怪我が……

みたいなやるせない気持ちを抱えていることがありました。

 

たぶん、手を伸ばせば届きそうなところにいる人への嫉妬は、

本当に自分のなかには可能性があって、自分もそうなれるという自信が

確かにあるから、湧いてくる感情なんだろうと思います。

嫉妬することは確かにはしたなくて、みっともない行為なんだろうと

思いますが、それでも自分の中の可能性と表裏一体なものだと

いうことは見落とせないことだと思います。

人間大人になってくると、憧れと嫉妬の線引きがより明確になってきて

辟易してくることもあります。

でも、嫉妬っていう感情は裏を返せば、自分のなかの可能性に

自分で気づけているということ。

だから、じっと眺めているだけじゃなくてできるなら自分もやってみる。

そうすることが嫉妬とうまく付き合っていくコツなんじゃないかと思います。

それと、いくらすごい先人がいたとしても、

土足でヅカヅカと踏み込んでいく、それくらいの気概をもって生きたいですね。

意外と暑苦しいの嫌いじゃないです。笑

 

それでは、なんかそんなお話でした。

ありがとうございました。