内向的であることと外交的であること
どうも。
内向的な人間の僕です。
突然ですが、
断言しよう、この社会はほぼ外交的な人間のものであると。
いきなりなにを言っているんだというのは、おいておいて、
これほんとにそうなんですよ。笑
だって、考えてみてください、
普通に学校生活をして、普通に就職して、普通に会社員をして、
普通に女性と交際して、普通に結婚して、普通に友人がいて、
大半の人間が歩む人生のモデルでは、少なからず、
外交的な人間の方が得じゃないですか?
内向的な人間の代表は、勝手に村上春樹さんだと思っていますが、
彼はいいんですよ、世間一般とは違う人生を歩んでいても、
その才能が発揮され、世間に認めれれているんですから。
人間が、外交的と内向的に、完全に分離されるはずが
ないのは当たり前ですが、相対的に考えてこの世には、
外交的よりの人が多いようで、そのための世の中になっているような
気がするのです。
はたまた、外交的でないと生きづらいから、そのような
人が多いのでしょうか。
話は飛躍しますが、世間=外交的な人々は、
内向的な人間に外交的であることを強要するのです。
飲み会で静かにしていると、もっと飲めよとかしゃべろよ、とか、
カラオケでしっとり歌うと、もっと盛り上がる曲歌えよ、とか、
仕事で人と接するときは、もっと元気に愛想よくしろよ、とか、
内向的な自分としては、家で一人の時間を楽しみたいのにも関わらず。
これって、なにかを断りきれない自分が悪いのでしょうか。
それでも、何度も断っていたら、ノリが悪いやつ、空気読めないやつ、
というふうに思われてしまうのは目に見えています。
それでは、この外交的社会を生きていくのは厳しいでしょう。
これが、内向的な人間が生きにくいという理由です。
内向的な人間は内向的な人間で集まっていればいいじゃないか、
っていうのももっともなんですが、どうしても外交的な人と付き合いを
もたなくてはいけないことがあります。
それに、内向的な人間は、村上春樹さんのように
自分の興味ある分野で圧倒的な才能を発揮できればいいんですが、
それができなければ、外交的社会の荒波にもまれ、
世知辛い世の中を踏ん張って生きていくことを
宿命づけられているようでなりません。
内向的人間の唯一の活路は、圧倒的自分の才能を
見つけ出し、それを磨き上げること。
毎日歩き続ければ、どこへだっていけるさ。
みなさん力強く今日も生きていきましょう。泣
それでは。
ありがとうございました。