春はなんだかみんな慌ただしく色めき立つよなあ。
わりと久しぶりのブログ更新。なんだか最近は何をしていても上の空で、ブログ熱も冷めがち。
それもこれも春、もとい3月4月のせいだと思うのだよ私は。
終わり始まり
春といえば、別れの季節でもあり出会いの季節でもある。気温もだんだんと高くなり、そこかしこで花が咲き乱れる陽気な季節。
それと同時に何かが終わることや、新しく始まることの多い節目でもある春。終わり始まりの春。
しかし、常に平穏な現状に満足していて、生活に波風ひとつ立たないことを望んでいる人間にとって、春は歓迎できるものではない。
冬アニメが軒並み終わり喪失感に苛まれていたかと思うと、新年度からのあれやこれやに頭を悩まし、しなくても良いようなことに追われる日々である。
目には見えないけれども、春もとい3月4月のそこかしこには境界線がいくつもあって、それは私の平穏を脅かしているものなのだろう。
私はしなくてもいいことはしたくないし、常にシャンティを欲しているのである。
諸行無上の響きあり
諸行無常。
僕自身にそこまでの変化がなかったとしても、常に僕の周りの世界は移り変わっていく。新しく何かを始めるやつもいるし、どこか遠くへ自分を探しに行っちゃう系のやつもいる。外国に自分が落ちていたらさぞ怖いだろうと思う。
しかし、隣の芝は青いものだ。
ぽかぽかした春の陽気にあてられてなのか、周りの空気に流されているらしくない自分がいるのも確かだ。
僕はおそらく幸せの沸点が低いのだろうし、毎日最低限のことがあればよいから、新しく何かを始めたり、常に自分の外の世界に何かを求め続けることは向いていないのだと思う。
しかし、隣の芝はやはり青いのだ。それもこれも春のせいだ。
かのフミコフミオ氏が、瞑想を生活に取り入れ始めたそうであるし、僕も瞑想というのを始めてハイヤーセルフというものと交信して見ようと思う。ただ、自分を見つめているもう一人の自分的なものは、けっこう前から感じることがあるので、これがハイヤーセルフなのではと思っている。
一応言っておきたいのが、春そのものは嫌いじゃないということ。暖かいし花は好きだし、花粉さえなければ最高なんだよね。笑
まあなんとかして春を乗り切りましょう。それでは、ごきげんよう。