ゆとり教育が生み出したモンスターの話。
どうも、ゆとり教育が生み出したモンスターとは僕のことです。
とはいったものの、今回はゆとりだったのにゆとらなかった小学生の頃の話。
小学生のステータスと言えば、足が速いとかドッジボールで活躍するとか、とにかく運動ができること。これはだいたいどこの小学生社会でもそうなのだと思う。
それに加えて、僕が通っていた小学校ではもう一つの要素があった。
それは、習い事だ。
ピアノ、習字、スイミング、バレエ、野球、ソフトボール、サッカー、バスケットボール、学習塾など、小学生にかかればありとあらゆるものが習い事である。
しかし、この習い事というやつが、僕を僕たらしめる要因となった。
というのも、モテたかったかどうかは定かではないが、当時小学生だった僕は、リア充大学生顔負けのスケジュールに追われ毎日を忙しく過ごしていた。
某有名学習塾に加え、丈夫なカラダになるからとスイミングに通ったかと思えば、将来はサッカー選手になるなどとのたまい、サッカーを始める始末である。
また、イラストや水彩画、図書室の本を全冊制覇するなどという荒唐無稽な目標を掲げた読書など、芸術方面への傾倒も見せ始めたからには、過度の知識詰め込み教育を批判し、経験を重視するゆとり教育を掲げた国の教育方針のもとにあったとしても、ゆとりによってもたらされたゆとりある時間(当時は水曜日は午前中しか学校がない等、とにかく授業がなかったと記憶している。もちろん土曜日に学校なんてなかった)に、これでもかというほどの経験を詰め込んだのであれば本末転倒である。
しかし、少年は素直でまじめで努力家であった。今となっては信じられないがそうだったのである。なにせ、好きな言葉を聞かれると、努力などと答えていたのだから。
友達ともそこそこ遊び、少年はゆとりとは縁のない小学生時代を過ごした。
そのまま少年は多彩な芸を身に着け、幅の広い人間へとすくすくと成長した、のかと思いきや、事態は急変する。
少年は生き急ぎすぎた。そう、早々と人生に疲れたのである(笑)。
中学生になった僕の口癖は「めんどくさい」になり、とにかく時間があれば夢の中へ遊びにゆき、死んだ魚のような目をして過ごすようになった。
部活には入ったものの、そのプレースタイルは省エネなどと揶揄された。
学力も地に落ちるのかと思いきや、詰め込みすぎた経験によってもたらされた要領の良さを生かし、テストではまずまずの成績を修め、学年で10番目くらいの位置には常にいた。
そのまま、どこか冷めた人間性は変わることなく、大半の人間が辿るであろうレールの上を進んでいると思われる。
少々誇張した感は否めないが、おおよそ僕の少年時代はこのようなものだったと思っている。
僕の場合は、ゆとりが一周まわって、ゆとって化け物化したという例であって、これはやはりゆとり教育の失敗なのだろう。
ただ、そんなことは知ったことではない。実際僕は一回パンクしておいてよかったと思っている。
現状、社会や一般常識に懐疑的な目を持つ、健全な批判精神を持つことなくここまで来ていたら、それこそあのまじめな少年はもうすでにこの世にいなかったかもしれない。
実際、まじめすぎて疲れている人多いと思う。
僕は「もっときつい思いしてる人がいるのだから、きつくても耐えろ」というのが成り立つのであれば、「もっと楽してる人がいるのだから、楽してもいいだろ」っていうのが成り立つと思う。
だから自信を持って言いたい。
ゆとりって大事だね。
今回はなんかそんな話でした。それでは、ありがとうございました。